創世記 その4 カインとアベル

最初の殺人事件(創世記4章)

創世記4章は殺人事件に関する章だ。『カインとアベル』というタイトルは聞いたことがあると思うが正しくそのエピソードを知っている人は少ないかも知れない。この章のストーリーを三行でまとめると以下のようになる。

  • アダムとエバはカインとアベルという兄弟を産んだ
  • カインはアベルを殺してしまった
  • カインは神に追放され、アダム家の跡継ぎとして新たにセツが生まれた

正直ここは普通に読めばそれなりになんとなくわかったような気になるが実は全くわからないことだらけだ。この章にはまると抜け出すまでにかなり時間がかかる上に、ほぼ手ぶらで帰ってくることになる。内容の濃さに比して、解釈を断定するための材料が乏しいからだ。

最初のこども

人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。(創世記4:1-2)

神との約束を守らなかったことにより、エデンの園を追放された二人だが、それでも神に見放されたわけではなく、子孫を残すことを許された。アダムもエバも神のハンドメイド作品であり、生物学的な親はいない。アダムにヘソがあったか無かったかで議論している人たちもいる。そんな二人にはじめて生まれた子がカインである。つまり人類初の赤ん坊だ。

カイン

カインという名の意味はヘブライ語で”得た(acquired)”という意味だ。実は「わたしは主によって、ひとりの人を得た」という箇所は、ヘブライ語を文字通り訳すと「わたしは主を得た」とも読める。この場合、エバは創世記3:15で約束された救いをもたらす子孫がこのカインであると判断していた可能性がある。もちろんこれは勘違いなのだが、そのせいでカインは自意識過剰なちょっと変な子に育て上げられたと考える人もいる。

アベル

さらに弟アベルも生まれた。カインとアベルの年齢差は不明だが、二人の誕生の記述が連続しているので人によっては彼らは双子だと考えているようだ。また記述はないが、間違いなく娘たちも生まれていたはずだ。そうでなければ後にカインが妻を得られるはずがないからだ。(アダムの娘に関しては創世記5:4にざっくりと書いてある。)

アベルという名の意味はヘブライ語で”はかない”、“無価値”を意味するという。そんなすぐ死んじゃいそうな名前つけるから・・・というかなんでそんな名前つけた? 救い主(勘違いだが)のカイン以外はみんな屑(無価値)だと考えていたのか、あるいはアベルは若くして死ぬことを悟っていたのか・・・。あるはアベルの人生がはかなかったからアベルという言葉に”はかない”という意味が後日つけられたのか。

カインとアベルの職業

アベルは羊を飼い、カインは農業をするようになったとある。前章のノートで既に述べたことだが、肉食が許されるのはノアの洪水後のことで、それまで神は人類に草食を命じていた。なのでアベルの家畜は食用ではなく、毛皮やミルクを得るために飼っていたと思われる。(創世記9:3)

捧げ物の謎

日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。(創世記4:3-5)

ちょっと唐突だが、ある日この兄弟が神に捧げ物を持ってきた。兄のカインは農作物を、弟のアベルは家畜を持ってきた。聖書はなぜ彼らが捧げ物を持ってきたのかは記していないが、二人同時に持ってきていること、その後神自身がカインと会話していることから、おそらく神が二人に命じたに違いない。

神はアベルの捧げ物を喜んだが、カインの捧げ物は顧みられなかったとある。なぜだろう? カインは農作業担当であり、アベルは生き物係だった。それでカインは作物を、アベルは生き物を持ってきたとして何か間違っているのだろうか? やっぱり神様も野菜より肉のほうが好きだということなのだろうか?

新約聖書はなんと語っているか?

この件に関して、新約聖書では以下のように語られている。

信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。(ヘブライ11:4)

カインのようになってはいけない。彼は悪しき者から出て、その兄弟を殺したのである。なぜ兄弟を殺したのか。彼のわざが悪く、その兄弟のわざは正しかったからである。(1ヨハネ3:12)

アベルの捧げ物は彼の信仰を反映したものであり、彼のわざは“正しい”と言われている。カインには信仰がなかったことになり、さらにわざが“悪い”と言われている。

まず、その信仰とは神の存在自体に対するものではないはずだ。なぜならこの4章の記述を見る限り、彼らは神を信じるどころか知っていた。であればここで言われている信仰とは神が約束した何かを信じていた、あるいは信じていなかったことになるが、それが何かについての記述は無い。

また”わざ”については捧げ物の件以外についてを指している可能性も無くは無いがその可能性を考えるとほぼ検討することを放棄したくなるほど手がかりがなくなるのでとりあえずは”わざ”とは捧げ物を指すと思いたい。

世の中の賢者はなんと言っている?

なぜカインの捧げ物が拒絶されたかについて、多くの注解書やネット上の情報を調査するとおおざっぱに言うと以下の二つ、特に最初のものがポピュラーであるが、結局はわからないというのが本当のところだ。だって聖書本文に書いてないんだから。一応それぞれの説の概要と蛇足だが私見を述べてみる。

”カインの捧げ物は“血の犠牲”ではなかったから”説

聖書には生き物の血は罪を覆うというコンセプトがある。(その最上級のものが全人類の罪を贖うキリストの犠牲である。)キリストの十字架以前においてはユダヤ人は血の犠牲(blood-offering)によって自分たちの罪を覆う必要があった。アベルの持ってきた捧げ物は生き物の犠牲であり、カインの捧げ物には血の要素がないので罪を覆うための犠牲としては不合格だったため受け入れられなかったと考えるのがこの説である。

この説を採用した場合、「カインとアベルは血の犠牲を持って来いと命じられた」あるいは「罪のための捧げ物といえば当然”血の犠牲”であり、黙って一番状態の良い動物を持っていくのが常識とされていた」という前提が必要になるが、そのような記述は無い。ただし、創世記の時代においては、聖書内での記述は無いものの“正しい犠牲の捧げ方”というものが伝えられていた可能性が高い。後にノアが登場するが、彼は誰にも命じられていないのに正しい仕方で神に全焼の犠牲(burnt-offering)を捧げている(創世記8:20)。創世記3章において、神は人に毛皮のコートを着せた(創世記3:21)。それが最初の血の犠牲であり、以降アダムとエバが息子たちに血の犠牲を捧げる習慣を教えた、という解説も多い。

”カインの捧げ物の品質に問題があった”説

4節の記述を見ると、アベルが生き物を持ってきたのは単に職業柄、家畜を飼っていたからという理由な感じもしなくはない。であれば農業を営むカインが地の産物を持ってくるのは妥当な気もする。捧げ物として地の産物をもってくることは聖書でも記載があり、特別おかしなことではない。(参考:レビ記2章)

ただし、アベルは“初子”と”肥えたもの”という最良のものを持ってきたとある。それに対し、カインの捧げ物は単に“地の産物を持ってきた”とある。これはカインの捧げ物が無礼なまでにしょぼかったんではないか? 例えば虫食いのドングリ十個とか。という解釈である。

すべてのものの創造者である神様なのに、捧げ物がしょぼいとがっかりするのだろうか? 答はYes。要は捧げ物を通して神への敬意を問われているのだ。マラキ書1章には神が捧げ物を拒絶する理由が語られている。ちょっと長い引用になるが、カインの捧げ物の品質に問題があったとするならば、この箇所はそれが神から拒絶される理由となり得ることを強く示唆しているので引用しておく。

「子はその父を敬い、しもべはその主人を敬う。それでわたしがもし父であるならば、あなたがたのわたしを敬う事実が、どこにあるか。わたしがもし主人であるならば、わたしを恐れる事実が、どこにあるか。わたしの名を侮る祭司たちよ、と万軍の主はあなたがたに言われる。

ところがあなたがたは『われわれはどんなふうにあなたの名を侮ったか』と言い、汚れた食物をわたしの祭壇の上にささげる。またあなたがたは、主の台は卑しむべき物であると考えて、『われわれはどんなふうに、それを汚したか』と言う。

あなたがたが盲目の獣を、犠牲にささげるのは悪い事ではないか。また足のなえたもの、病めるものをささげるのは悪い事ではないか。今これをあなたのつかさにささげてみよ。彼はあなたを喜び、あなたを受けいれるであろうかと、万軍の主は言われる。

あなたがたは、神がわれわれをあわれまれるように、神の恵みを求めてみよ。このようなあなたがたの手のささげ物をもって、彼はあなたがたを受けいれられるであろうかと、万軍の主は言われる。

あなたがたがわが祭壇の上にいたずらに、火をたくことのないように戸を閉じる者があなたがたのうちに、ひとりあったらいいのだが。わたしはあなたがたを喜ばない、またあなたがたの手からささげ物を受けないと、万軍の主は言われる。(マラキ1:6-10)

ネットを見る限り、前者の説を支持する人が多いようだが、私としては後者の説の方が自然な気がする。捧げ物に関する詳細な規定が与えられるのはレビ記においてであり、この時代よりもはるかに後だ。

カインは拒絶された理由を知っていたはず

結局のところどうしてカインとその捧げ物が受け入れられなかったかの理由については憶測でしか分からない。したがって理由はどうであれその後何が起こったのかを考察するほうが有益かも知れない。カインが遺憾の意を怒りをもって表した後、神はこう語っている。同じ箇所を口語訳と新改訳から引用しておく。

そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。(創世記4:6,7、口語訳)

そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」(創世記4:6,7、新改訳)

7節は訳も解釈も難しい。事実上記のように口語訳と新改訳では意味が異なるように読める。また、ここで“罪”と訳されているヘブライ語は、“罪”の他に“罪人”、“罪のための犠牲(sin-offering)”をも表すことばだと言う。そのためいろんな解釈があって途方に暮れるのだが、大体以下のような感じの解説が多い。

  • アベルのように正しい捧げ物を捧げていたらそれは受け入れられていた。なので”憤る”のはお門違いな感情であり、それをコントロールしないと破滅するぞ
  • 正しい仕方で捧げ物を行えば、それは受け入れられるのだからいまからそれをやり直せ
  • 罪のための犠牲を正しく行わなければ、罪が取り去られずそのせいで破滅するぞ

どれがドンピシャな解釈なのかは不明だが、いずれにせよここで神はカインを救うために助言しているのは間違いない。カインの性格からして、少しでも言い訳があるなら確実に申し立てていると思うが、そうしていない点から考えて、カインには叱られた理由がわかっていたと思われる。

最初の殺人事件とその裁き

カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。(創世記4:8)

カインというのは本当に肝の太いやつで全能の神から注意されたのにまったく意にも介さず、アベルを逆恨みし続け、ついには殺害してしまう。どうして全能の神を知りながら弟を殺すことなんてできるだろうか? これは非常に不思議に思える。

もしかしてカインは人が死ぬということをよくわかってなかったのではないか? この世界ではまだ人間は死んだことがないのでその可能性は十分あると思う。「あのムカつく弟をいつもより強めにぶん殴ったら動かなくなってしまった・・・」なんていうことだったんじゃないか?

しかし聖書の原文を調べるとそんな生やさしいものではない可能性が高い。まず、前述の創世記4:8で「殺した」にあたるヘブライ語は”harag”は、『無慈悲な暴力による殺害』を意味する。同様に前述の1ヨハネ3:12で「殺した」に使用されているギリシャ語は”sphazo”であり、これまた『虐殺』を意味し、そんなつもりじゃなかったけど死んじゃった、なんていうニュアンスではない。やはりこれは不幸な事故ではなく、冷酷な殺人だということになる。

神の裁き

主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。 (創世記4:9)

どうだろうか。このカインの怖いもの知らずな態度は。ちょっと口語訳の神様の口調は気の弱い中年サラリーマンみたいな感じなのであまり気がつかないかも知れないが相手は宇宙の絶対的な権力者だ。神様にこんな口をきく度胸があるやつなんざカインの他はヨナしかいない(注:すぐ読み終えることができるのでヨナ書を読んでみよう。ヨナのフリーダムさ加減と神様の懐の深さに感動すると思う)。

それはさておき、なぜ神は何でも知っているはずなのにわざわざ「どこにいるか」などと問うのか? これは前章のアダムとエバが神から身を隠したとき(創世記3:9)もそうだった。すべて知っているはずなのにあえて問いただすというのはちょっと意地が悪いんじゃないだろうか? これは神がカインに自首するチャンスを与えている。神は罪を告白し悔い改める人間をけして見捨てないからだ。だがしかし残念ながらカインはしらばっくれた。

カインの罰としるし

主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。

カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。(創世記4:10-15)

カインには罰が与えられた。それは“神のもとから去る”という最も絶望的なものだ。しかもカインの職業である農業はもはや実を結ばないときた。これにはさすがのカインも泣き言を言わざるを得なかった。

なぜカインは死罪を免れたか?

カインはアベルの命を奪った。旧約聖書の世界では通常、殺人に対する罰は死刑である。この事件の後の話になるが、ノアの洪水の後、神はこう宣言している。

わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の値を要求する。私はどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人の命を要求する。(新改訳聖書 創世記9:5)

だがこのとき神はカインの命を奪うどころか逆に「殺すなキケン」を意味する謎の「しるし」をつけ、カインを保護した。なぜだろうか? 

ひとつのアイデアは、当時殺人という行為が(前述の創世記9:5のように)明確には禁じられていなかったから、というものである。パウロによると、何かの律法がなければ、罪は罪としてみとめられないという。

というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。(ローマ5:13)

のがれの町

また、旧約聖書には、殺人を犯したものを復讐者から保護する、“のがれの町”という興味深いシステムが登場する。“のがれの町”は過失により、あやまって人を殺してしまった加害者が、その家族からの復讐を逃れるために用意された避難所である。(民数記35:9-34、申命記19:1-13)
ただし、のがれの町に逃げ込んだとしても、それが故意による殺人だった場合はその犯人は「必ず殺されなければならない」とされていた。したがって、もし神が“のがれの町”と同じコンセプトでカインを保護したのだとすると、カインの殺人は過失に近い判定だったことになる。

家族のその後

カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。(創世記4:16-17)

その後のカインは意外にも大いに繁栄している。ただし“ノドの地”というのは、”放浪者の地”という意味であり、具体的な場所を示していない可能性が高いらしい。それでも町を建てたというのだから“地上の放浪者”も最後には定住できたのであろう。

謎の女“ナアマ”

チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった。トバルカインの妹をナアマといった。(創世記4:22)

ここで何の必然性もなく、ナアマという女性の名が提示されている。わざわざ名前が伝えられている以上、何か重要な人物だと考えられているが手がかりは全くない。ユダヤ人の伝承では、このナアマがノアの奥さんだと言い伝えられている。もしそうだとしたら、追放されたカインの血筋もノアの洪水を乗り切ったということになる。しかし本当のところは誰にもわからない。

アダムの跡継ぎ

アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」。(創世記4:25)

ここだけ読むと、セツはアダム家の三男のように思えるが、このときアダムは130歳である。「130年も生きていれば、子どもはたくさん産まれていただろう。しかもアダムは930歳まで生きた。130歳はまだまだ現役世代だ」という訳でカインには追放の時点で既に多くの兄弟姉妹がいたと言われている。

ではなぜ、ことさらセツの誕生に言及されているかというと、聖書のストーリーはセツの子孫によって展開されていくからだと考えれば納得がいく。具体的にはノア、アブラハム、ダビデ、そしてイエス・キリストに至る系譜だ。(もっともノアの洪水で人類はほぼ絶滅するので、その後の人類のすべてがセツの子孫な訳だが)

とても人気のある疑問

さてカインについてはものすごくポピュラーな質問がある。以下のようなものだ。

カインはどこから妻を得たか?

創世記4:17によると、カインには妻がいたとある。どこからやってきた?

カインは誰を恐れたか?

創世記4:14でカインは自分は殺されるだろうと述べている。誰に殺される?

この二つの疑問の根は同じである。つまり、当時の人類がアダム、エバ、カイン、アベルの四人だったと仮定した場合、”カインの妻”および”カインを殺そうとする人物”はどこにも見当たらない、ということである。

しかし、一般的には前述のように、カインには複数の兄弟姉妹がいたと理解されているため、カインは妹を娶り、そして兄弟を恐れた、というのが回答になる。しかし『創世記 その2』でも言及したが、この時代にはアダム一家以外にも人類がいた、と考える人もいる。

■この箇所を読むポイント

ポイントなどない。我々の先祖でもある最初の家族のドラマにただただ圧倒されるばかりだ。

以上

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